







にぎわった当時を表す錦絵
頂上の社務所で研修
頂上のようす
昔の面影はない
静かな山道を行く
ふもとからの登り口
峠からの登り口
8月4日(水) 職員研修で訪れる
琴平神社は皆川地区の最西端、標高340mの鞍掛山の頂上にある。ふもとから稜線沿いの山道を歩くと標高差240m、数十分の距離、峠の標高は310mだからものの十数分、我々皆中職員は迷わず後者のルートを選ぶ。
やや湿度は高いものの尾根筋をぬける涼風が心地よい。鳴き上手になったウグイスを遠くに聞きながら少し汗ばんだ頃、社殿が見えてきた。学校を車で出発してから30分である。
あらかじめ連絡しておいたので、宮司さん夫妻が掃除をしながら出迎えてくれた。神社からの展望はすばらしく、東に柏倉の水田を通して栃木市街が、やや南に目を移すと筑波山の双耳峰、そして富士山が展望できる。年に2回、この筑波山から太陽が昇るそうだ。社務所の中にはそういった写真が展示されている。
いただいた資料(宮司:関口光一郎様、大阿久岩雄様作成)に沿って社務所で研修を始める。冷えた梨がとてもおいしい。ごちそうさまでした。
<研修の内容から、琴平神社のご紹介>
本家である四国讃岐の金刀比羅宮は航海の神、船の神として漁業関係者や航海に関わる人々に厚く信仰されてきた。ここ皆川の琴平神社は栃木市を流れる巴波川(うずまがわ)舟運と渡良瀬川、秋山川(葛生町)両舟運の中間に当たり、巴波川舟運関係者は栃木・寒川(さんがわ)・部屋・古河方面から船主や船頭、舟子等の関係者が、また渡良瀬川・秋山川舟運関係者は佐野・田沼・葛生・足利・上州方面からそれぞれ参拝に来ていたそうだ。
これら多くの祈願者の奉納により明治5年に本殿、拝殿、神楽殿及び社務所の大改修が行われた。明治11年には間口8間、奥行き4間の3階建額殿が完成し、山頂も次第に広げられ最盛期には神官約11名、巫女約16名が常駐し、わずか240坪ほどの平地に茶屋が62軒、芸子も多数住み込み参拝客も続々と参集したという。
この様子は下の錦絵の写真でわかるだろう。
さて、明治の中期頃から陸上交通が急速に発達し、琴平神社を支えていた河川貿易が打撃を受け、ここの信仰とともに衰退していった。
昭和20年の火災で社屋がすべて消失、依田流(十二神楽)の神楽道具一切も消失、再興もならず現在に至るそうだ。
現在は
1月 1日 元旦祭
4月第1日曜日 小 祭
10月第1日曜日 大 祭
が開催され、葛生方面の講社の人々が来参するようだが店は一軒も出ず、地元氏子も活性化のため道路整備等努力しているが、再興は極めて至難な状況だそうだ。
蔵の町栃木、桜の太平山、栃木市観光の折りは是非お立ち寄りください。
さて、研修を終え空腹となった皆中職員一行は蕎麦とだし巻き卵を食すべく尻内の「鳥おか」に向かったのである。
頂上の神社から柏倉町方面を臨む